タローの家出
1歳になったばかりのタローのある日の出来事を見てみましょう。
飼い主の工場を後にして、何やら悲壮な顔つきをして歩き続けています。
よく遊びに行く小学校のプールのそばを通り抜けて行きます。体育授業中の仲良しの小学生が「タローどこへいくの?」と声をかけてきます。無視してどんどん歩き続けます。
休耕中の水田のそばも通り抜けます。いつものようにカエルを追いかけて遊ぶこともしません。一心不乱に歩みつづけます。
いつもは水遊びをする用水路も無視して歩き続けています。
リンゴ園の中も通り抜けていきます。いつもは、地面に落ちているリンゴを一寸かじってみるのですが思いつめた顔をして歩き続けているのです。
タローはどうしたのでしょうか? 首輪には食いちぎった、残りの紐がぶら下がっています。ただ事ではない様子です。
もうお判りでしょうか。タローは 飼い主のもとから脱走しようとしているのです。
タローの生い立ちと家出の原因
タローが生まれた場所は人口約20万人の地方都市の郊外です。この地区は1960年代に純農村から住宅地として開発されつつあったのです。タローはそこの建設機械修理工場で生まれたのです。
タローの母犬はこの工場の番犬であるシロです。シロは社長さんと従業員たちが帰宅した後、夜は一匹だけで工場を守っていたのです。シロの犬種は柴犬です。タローの父犬は深夜、こっそりとシロのもとに訪れた求婚犬です。したがってタローの犬種は柴犬の血が多く入った雑種と言えます。
タローは元気いっぱいの活発な犬で、人なつこい犬です。
社長さんや訪れたお客さんのもとに駆け付けて、可愛がってもらうために足元にじゃれつく子犬でした。
工場の社長さんはタローの兄弟の四匹は他人にあげたのですが、お気に入りのタローは残しておいたのです。
この頃のタローの名前は「虎次郎」でした。ご主人が車で用事に出かけるとき。「トラ、トラ」と呼ぶと走ってきて、助手席にチョコンと座るのでした。
なぜ虎次郎かというと、朝ご飯を食べた後、どこかへ出かけ,お腹がすくと帰ってきて食べ、またどこかへ出かけるという放浪性のある犬であったからです。
タローの主なる行き先は工場の近くにある小学校でした。まだ幼犬であったころ工場の前の道路で遊んでいると、通学途中の小学生に出会って、仲良しになったのです。

少し大きくなると小学生の後について行き、校庭で沢山の小学生たちと遊ぶようになったのです。この頃から、タローは学校犬になる準備をしていたことになります。
小学生の中にはいろいろな子供がいます。犬の好きな子と嫌いな子、やさしい子と意地悪な子、活発な子とおとなしい子、これらの子供たちと接したとき、適切な行動をとれるようになることを学んだのです。
また、子供たちは遊びの天才です。ボール遊び、鬼ごっこ、木登り等、次々に新しい遊びを考えだします。タローにとって毎日が新しい体験の連続です。
これらの体験の積み重ねによって、タローは人間及び人間社会と上手につきあえる能力を発達させていったのです。
1歳になったばかりの時、このような幸福な子犬時代が突然に終わったのです。母犬のシロが死んだのです。
シロが死ぬと、ご主人はタローを工場の番犬にするため放し飼いをやめて紐でつないだのです。子犬時代に自由気ままに生きてきたタローです。自由を奪われることには我慢できません。
通常の飼い犬ならば、定められた運命に従い、さんざ泣き喚いた後に、あきらめたことでしょう。
しかし、タローの場合は普通の飼い犬とは違っていたのです。ご主人はタローを可愛がってくれましたが、一日の半分しか工場にいません。ご主人の家族とのつながりもありません。おまけに自由な生活の楽しさを小学校での遊びで身についてしまっていたのです。
もともと自立心、冒険心が旺盛で、自由を求める心が強かったこともあげられます。
一日の多くの時間を小学校の生徒たちと遊び暮らし、普通の犬よりも飼い主以外の人間と多く親しんできたのです。飼い犬として暮らすこと以外の選択肢があることも感じていたのかもしれません。 これが脱走を企てた理由です。

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